題名:「ADVENT」

第3話「紅い森の死闘」 補遺1「パラケルススの計画」

「よろしいですかな?フォラス殿。私も研究者の端くれ...ゴッドサイダーの三姉
妹を蘇らせることなど、さほど難しいことではありませぬ。」
  パンパンとパラケルススが手を叩くと、先程の看護婦が入ってきて、冷えた飲み
物を下げる。
  「今度は酒を頼むぞ...」
  「はい、先生。」
  淑やかに頭を下げ、トレイを捧げて去っていく美貌に、しばしフォラスはみとれ
る。
  「気に入りましたかな?あの娘が。」
  「え?あ、いや...ただ、美しい看護婦だなと...」
  やや狼狽するフォラスだが、用件を思い出し、再び硬い表情に戻る。
  「それならば、疾く『女達』を蘇らせ、ベルゼバブ様に捧げていただきたい。」
  「まあ、お聞きなさい。ただ蘇らせるなど、このパラケルススの研究者魂が許し
ませんのですよ。」
  「これは異なことを。ベルゼバブ様の御命令なのですよ。あなたの嗜好などこの
際捨ててくださいっ。」
  思わず前のめりの姿勢で糾弾を始めるフォラス。そんな自分にフォラスは嫌気が
差す。
  『まただ...この医者の余裕綽々な態度を目にするとどうも調子が狂う。クールさ
が身上のこの俺なのに...』
  「ですが、これはベルゼバブ様のためでもある。そう私は考えておるのですよ...」
  まったく動じる様子も見せず、パラケルススが淡々と続ける。
  「よろしいですかな?ここ十数年、ベルゼバブ様は鬼哭忍軍なる手下を囲ってお
りますな。それがなぜか、知らない私ではありませんぞ。」
  「な、なにを突然...それとこれとは全然違う話では...」
  「そうではありません。よろしいですかな?現在の地獄帝国は、宰相たるベルゼ
バブ様が取り仕切っておられることは誰の目にも明らか...しかし、それは地獄帝国
の全ての者がベルゼバブ様に従っているということを意味するものではありませ
ん。」
  「だ、だから、この際そんな話は関係が...」
  「最後まで話をお聞きなさい。異論反論はその後ゆっくり...」
  パラケルススは立ち上がり、書斎の中をゆっくりと歩き回り始める。
  「よろしいですかな?表だってはおりませんが、ベルゼバブ様を快く思わぬ者達
は決して少なくありません。例えば開拓と称して辺境付近に半独立国を造って閉じ
篭もっておられる方々...涙の国のモロク様、死の国のプルトン様など...さらには
...」
  厚い絨毯が靴音を消し、まるで滑るように後ろ手を組んだパラケルススが移動す
る。
  「帝国内にあっても、実務を取り仕切る悪魔官僚達の利益を代弁する、有力官僚
の集合体・ルキフグス様があり、さらにはベルゼバブ様を冷ややかに見つめておら
れる方々...すなわち...」
  一瞬いいよどんで空咳を一つするパラケルスス。だが、演説は止まらない。
  「恐れ多いことながら......魔皇妃リリス様...その弟君アスタロト大公爵様...同
じくサルガタナス公爵様...」
  聞いているフォラスの額にも汗が浮く。
  「ま......ざっと見渡しただけでもこれほどの有力者の方々がベルゼバブ様の施
策を批判しておるわけですな。この対立が深刻化していないのはひとえに...」
  部屋の端でくるりと回ったパラケルススの眼鏡が冷たく光る。
  「地獄帝国の内部対立が激化し、内戦などという事態にもなれば、天界の連中の
思う壺で、下手をすれば一気に攻め落とされる可能性もあるということを皆様ご存
知ということと...」
  大きな窓を見上げるパラケルスス。皆既日食の太陽の様に、黒い太陽が青白いコ
ロナを放ち、黒々と輝いている。
  「...いずれサタン様がお戻りになれば...全ての勢力が再び一致団結することが
できるという期待があるからです...」
  窓に背を向け、フォラスに向き直るパラケルスス。
  「...とはいえ、各派閥の小競り合いは日常茶飯事。おおっぴらに帝国軍を動かす
ことができないとなれば、各派とも自分達だけに忠誠を誓う私兵を揃えて強化する
しかない。」
  「...ベルゼバブ様は流石に目のつけどころがお違いで、神と悪魔の間に位置する
といわれる鬼哭一族に注目された。連中が強力な戦闘力を持っていることは周知の
事実ですが、これを配下にしようと考えられたのはベルゼバブ様お一人だけ...。ま、
裏を返せばそこまで追いつめられつつあったということもできましょうが...」
  「なっ......!」
  思わず立ち上がり、抗議しようとするフォラスをやんわりと制する。
  「まあまあ...鬼哭忍軍を配下に置いたことで、ベルゼバブ派は持ち直しました。
情報収集、暗殺、破壊活動...いやはや、実に役に立つ連中ですな...ですが...」
  手で座るように示しながら、なおも続けるパラケルスス。
  「私が愚考するに、非常に大きな懸念がありますな...フォラス殿もご承知なので
はありませぬかな?ベルゼバブ様は......ももちろんね。それは、彼らを引き込むの
に使った様々な深謀遠慮が......万が一きゃつらに発覚したら、という...」
  フォラスの目に殺気が宿る。
  「......色々とご存じですな、先生。しかし......失礼ながら一介の医師の立場で知
りすぎるということは...」
  「はっはっは、危険だとおっしゃいますか。無論私はベルゼバブ様の忠実なる僕。
ご心配には及びませんよ。ここまでは単なる前振りでしてな...」
  満面の笑みを浮かべるパラケルスス。
  「いいですかな?これまでの話を前提にすれば、ベルゼバブ様には更に手下が必
要です。強力にして、決して裏切らない手下がね。私がそれを提供しようというの
ですよ。ゴッドサイダーの姉妹達を使ってね。」
 
  そこまで言った時、ノックの音がして、先程の美貌の看護婦は酒瓶などの林立し
たワゴンを押してきた。
  「何にお作りしましょう?先生。」
  「うむ...私はブランデーを...。フォラス殿は何を飲まれますかな?」
  「い、いや...私は...」
  「遠慮なさいますな。私の話で喉がカラカラになっているのではありませんか
な?...カンパリソーダを作って差し上げなさい。」
  「はい、先生。」
  手早く二人の飲み物を作ると、一礼して看護婦は去っていった。見送るフォラス。
  「いかがですかな、我が娘はお気に召しましたかな?」
  「娘?......先生の?!」
  「はっはっは、そう驚かれるな。本当の娘という訳では...いやいや、本当の娘以
上の存在ですな。あれは、私が精魂傾けた研究の精華......ホムンクルスですよ。」
  暖めたブランデーの香気を嗅ぎ、一口すするパラケルスス。
  「ホ、ホムン...クルス...人造人間、ですか...」
  「さよう。我が精液から作り上げた、我が分身の如き存在です。あれは秘書型で
してな。重宝しております。他にも護衛タイプや情報収集タイプなど色々なバリエ
ーションを作り上げております。私も身の危険を感じることがたまにございまして
な。」
  はっはっはと高笑いするパラケルスス。再び脂汗が頬を流れるのを感じたフォラ
スは、目の前のグラスを掴むと、赤い液体をぐっと飲み干す。
  「で、では...ホムンクルスをベルゼバブ様に...」
  「それはとうに考えましたがね...残念ながら私の娘達に鬼哭一族に匹敵するよ
な戦闘力を付与することはできませなんだ。忠誠は確実なんですがなぁ。」
  首を振るパラケルスス。ブランデーを啜ると、ワゴンに近づき、フォラスに代わ
りのカンパリソーダを作って差し出す。
  「また......ゴッドサイダーを洗脳して味方にするということも前々から考えて
おりましたが......手に入った素材があまり良くありませんでな。ま、データ収集に
は役立ちましたが......。そうこうしている所に、このたび結構なゴッドサイダーの
肉体が新たに手に入った...ここで私が考えたことがお判りですかな?」
  うつむいて、弱々しく首を振るフォラスに微笑みを浮かべ、続ける。
  「ゴッドサイダーを完全にコントロール下に置く方法を思いついた訳ですよ。あ
なた程の能力の持ち主なら、先程の私の行動もお見通しでしょう。あなたの目には
女の体を弄んでいるヒヒ爺にしか見えなかったかも知れませんがな...。」
  「あ、あれは、『女達』をコントロールするためだと...」
  「そのとおり。彼女達の胎内に、特殊な調整を施した我が精液を注入しました。
彼女達の子宮の中で特別なホムンクルスになるでしょう。子宮に宿る胎児の姿をし
た奴がね。戦闘力はありませんが、私の指示に百%従い、完璧にゴッドサイダーの
体をコントロールしてくれるはずです。故に、彼女たちの意識はこの際不要なので
す。」
  「う...うむ...そうであれば、ベルゼバブ様はあのゴッドサイダー達を手駒にする
ことが...」
  「お気に召しましたかな、我が計画。......しかし、それだけでは我が研究心は満
足いたいしませぬ。」
  「ま、まだ何かお考えなのですか?先生...」
  あきれ顔のフォラスに構わず、パラケルススは得意げに言い募る。
  「あのゴッドサイダー達は、通常の能力はさして高いとは言えません。ゴッドサ
イダーの中では中堅クラスといったところですか。確かに最後の攻撃ではベルゼバ
ブ様に大ダメージを与えましたから、あれだけを見れば十天闘神にも匹敵するレベ
ルですが、命を引き替えにしておりますからな。私はね...」
眼鏡の奥に光る瞳がフォラスを見つめる。
  「完全に支配下に置きつつ、あの戦闘力を常時維持できるゴッドサイダーを、ベ
ルゼバブ様に奉納しようと思うのですよ。どうです、これはベルゼバブ様のお気に
召すでしょうか?」
  「む、無論それは...。し、しかし、どうやって...?」
  「さあ、そこです。フォラス殿に助力いただきたいのは。」
パラケルススの顔がフォラスに迫る。異様な迫力に目をそらすことができないフォ
ラス。
  「フォラス殿はご自身の肉体強化をどのように行いますかな?」
  『ど、どこまで知っているのか、この医師は...』
  驚愕はもはや恐怖に近かった。
  「む...躯妄虫の......心臓を使って...」
  「さよう!」
  優等生の名答に気分の良い教師のように上機嫌の老医師が続ける。
  「躯妄虫の心臓...あれは極めて有効な能力向上手段ですな。私の計算では、躯妄
虫の心臓一つの力を全力で振り絞れば、あのゴッドサイダー達の必殺技が使用可能
なのです。」
  「で、では...あのゴッドサイダー達に躯妄虫の心臓を...?」
  大きくうなずくパラケルスス。フォラスは必死に反論する。
  「そ、それは危険ですぞ。それほどの力を与えて、もしコントロールが解けたら
...」
  「それはありえませんな。私が請け負います。で、フォラス殿...躯妄虫は誰もが
作り出せるというものではありません。特殊な能力が必要です。その能力をお持ち
のフォラス殿に、ぜひご助力いただきたいのですよ。ベルゼバブ様のために...」
  「ベ、ベルゼバブ様の...う、ううむ...」
  「長くベルゼバブ様にお仕えさせたいのです。一人につき十個くらいは躯妄虫の
心臓を取り付けたいと考えております...」
  「じゅっ、十個?それでは三人いるから......さ、三十個の心臓が必要ということ
ですか?」
  「さよう。ベルゼバブ様の役に立つのなら、材料になる雑魚共も光栄に想うでし
ょう。確か百人の忠実な手下をお持ちとか......ああ、我が病院にも雑魚はいくらで
もおりますから、ご自由に使って下さって構いませんよ。心臓だけを持ってきてく
だされば結構ですから...」
  ふらりと立ち上がるフォラス。蒼白の顔には脂汗が止まらない。
  「おお、これからすぐにやって下さいますか。恐れ入りますな...」
  フォラスが扉のノブに手を掛ける。
  「お願いしましたぞ、フォラス殿...」
  フォラスが去り、閉まった扉を見つめながら、部屋中にパラケルススの哄笑が響
いた。
  「さて...できそこないのメンテでもしましょうか......」

(了)

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