デビュー編 - プロフィール

 さて、流璃子にネタとしての魅力を感じながらもなかなか抜かなかったのには、いくつか訳があった。ひとつは、オナニーという行為がまだ汚いもののように思えて、好きな子の為に性欲を我慢することが、自分の中で美化された行為になっていたということ。もう一つは、エロ本で抜くならまだしも、マンガのキャラで抜くことに恥じらいと引け目を感じていたこと。この2つが大きな理由だった。
思春期の僕にとっては、屈折してなかなか欲望に素直になれなかったんだよね、きっと。
ところが、オナニーを我慢するという行為は、一つの失恋とともにほどなくたがが外れる。

もうおわかりだと思うが、こんなコキ盛りの時期にオナニーを我慢するとどういうことになるか、、、それは異常なまでの反動。突然目覚めたかのようにオナりまくり、歯止めが全く効かない。しかしながらこのときは、漫画キャラで抜くことに抵抗を感じていた為にまだゴッドサイダーをネタには選んでおらず、ゴッドサイダーを手に取るまで若干の時間を要した。
当時は、エロ本で抜くことがなんとなく大人って感じの風潮があったので、マンガを使うことには、非常に抵抗があったのだった。

しかし、ここまで来ればもうどうにも欲望には勝てない。
しごいているうちに、好きな女の子や好きな絵で抜くとどうなるのだろう?という疑問が当然湧いてくる。その疑問は、徐々にマンガで抜くことへの抵抗を排除していき、とうとう流璃子を見ながら抜くことにためらいを感じないほど最高潮を迎えることになった。
ここまで気持ちが高まりながらも意外にもネタに使ったのはエロシーンではなく、ヘルストリートを帰ってきて水が滴る流璃子だった。
ところが、これがなんとも言えない快感を僕に覚えさせる。マンガで抜く罪悪感、現実には存在しない女性の絵、でもまるで街のあこがれのお姉さんというぐらい現実にいそうな流璃子、そして日頃から目をつけていたとっておきのネタという感覚が入り混じって想像以上の快感を僕に与える。

果てた瞬間、僕は「やっぱりネタは流璃子に限る」とポツリともらしたものだ。この時、僕は以後この流璃子をこの先ずっとネタにするのかなとなんとなく思った。不思議なものだ。この時感じた理由無き確信は実は正鵠に的を射ていた。そう、このHP、流璃子の衣を作るまでのネタになったのだ。

さて、流璃子をネタに選んだときの話として、忘れてはいけないことがある。それは、友人の家で偶然流璃子が全裸で吊るされているシーンが載っている号のジャンプ(1987年36号)を後からもう一度見たことだ。
先にも書いたが、この全裸吊るしシーンには、多大な影響を受けつつもまだコキネタにしてなかった僕は、ネタにすることなく、そのシーンの存在も忘れていた(初めて見たときは、立ち読みかなんかで落ち着いて見ることができず、また、たまたまゴッドサイダーを後回しにして読んでいたので、じっくり見ることが出来なくて後でとても後悔した覚えがある)。

だが、コキ始めて間もないころふと思い出して、「そういえば流璃子の全裸シーンあったよな。でもアソコは隠れていたんじゃなかったっけ??」と、ふと流璃子の全裸を見たくなって昔のジャンプをあちこち探すようになっていた。当時はネットオークションどころか古本屋すらも全然無かったし、手に入れるのはもう困難極まりないかとさえ思えた。

と、そんな時、たまたま訪れた友人の家に昔のジャンプを発見。
なんとあの36号があるじゃないか!

僕は、そのシーンがあるジャンプの号(1987年36号←しつこい(笑))をはっきり覚えていたので、友達が部屋を離れた隙に急いでその号のジャンプを取り出し、目的のページをわき目も触れずめくる。先にも書いたとおり僕の記憶の中では、流璃子の恥毛の部分は完全に隠れていたと思っていたが、そこに載っていた流璃子は、両手を天井から吊るされ惜しげも恥じらいも無く全てを見せているではないか!!。

思わず「隠れてない・・・!」

と口に出しそうになったとき、友人が部屋に戻り「どこ見ている?」って問いただされて思わずあわててページをめくって男塾を開けた記憶がある(笑)、確か月光が盲目で戦っていたことがわかったシーンだ。

だがこの時、僕の記憶の中に全裸で哀れに吊るされる流璃子の姿が鮮明に焼き付けられ、流璃子のネタとしての地位を完全なものにした。また、そのシーンを友達の家で見れたのはほんの僅かの時間でしかなく、あいまいにしか覚えてなかったのが、返って妄想をかきたて流璃子に対する僕の欲望はさらに高まったのだった。

当時、まだその全裸シーンを収録したコミックを持っていなかったので、無い小遣いをはたいて必死で買った覚えがある。まるで、エロ本でも買うかのような恥ずかしさを感じつつも、手に取った2巻は僕にとって特別なものになったのだ。