「ADVENT」

題名:#2 白き渚の少女

第2話「白き渚の少女」下

「あなた...誰?どうして私を狙うの?」
「私は鬼哭忍軍、氷の眞耶子。流璃子...これ以上一族の恥を曝さず、神妙に縛に付
け。」
感情の篭らない声が流璃子の耳を打つ。
「!!...き、鬼哭って...?それでは、あなたは鬼哭一族の...?」
「そうだ。地獄帝国に仇なす者は、同族といえど容赦はしない!」
刀を振りかざし、女が襲いかかる。
「ま、待って!聞きたいことがあるの!」
襲撃を紙一重で避けながら、流璃子が叫ぶ。
「大人しく捕まれば、いくらでも話は聞いてやる!」
眞耶子は身軽に身体を回転させながら、矢継ぎ早の斬撃を次々と見舞う。
繰り出される攻撃の早さに、流璃子は大きく後方に跳躍する。女は着地点に氷柱の
手裏剣を放つ。羽衣でそれを払った流璃子は、間合いを求めてさらに跳躍する。眞
耶子の鋭い出足に距離を開けない。
「お願い!話を聞いてっ!」
「問答無用!鬼哭氷舞凍陣!」
無数の氷柱が一斉に飛ぶ。ほとんどを羽衣で打ち払ったものの、遂に一本の氷柱が
流璃子の脇腹を掠める。
「...くっ!」
浅い傷から血が滴る。バランスを崩して倒れこむ流璃子。立ち上がろうとして、眩
暈に襲われる。
「こ、これは...!」
「鬼哭忍軍秘伝の毒が塗ってある......動けまい。」
眞耶子がゆっくりと近づいてくる。威力には絶対の自信。刀も鞘に収める。
闘いの中、二人は知らずに陽炎のようにゆらめく建築物のそばに来ていた。
周囲に何者かの気配が立ち込める。
「ま、待って!」
気配に気付いた流璃子が叫ぶが、身体が動かない。
突如、二人の周囲の砂が立ち上がる。内部から半透明の壁がせり上がり、二人を覆
っていく。
「くっ!」女が刀で切りつけ、氷柱手裏剣を投げつける。が、斬ったそばから壁は
元に戻り、氷柱は音もなく飲み込まれてしまう。
完全に二人を覆った壁は、再び砂の中に沈んでいく。
数秒後、周囲は元の静かな渚に戻っていた。

どれくらい時が経っただろうか。
意識を取り戻した眞耶子が、ゆっくりと目を開く。既に正気に戻っていた慎悟が、
覗き込んでいた。
「マーヤ......俺、掟をやぶっちまった......。人間を殺しちまったよ......耐えられな
かった......」
「慎悟......私のために......ごめんなさい」
「俺が悪いんだ......俺が誘いださなきゃ......マ、マーヤに取り返しのつかないこと
を......」
「......慎悟のせいじゃないわ......」
慎悟が涙を拭って立ち上がる。
「どこに行くの......?」
「......もう村には戻れない。俺は人間に絶望した......もう何の希望もない......」
「......私も村には戻れないわ......あんな男がゴッドサイダーなんて......許せない
......」
ややよろめきながら、眞耶子が立ち上がる。
「......二人であてもなく彷徨って、死に場所を探すか......それでもいいのか?」
「ええ......」
悲しみと怒りと絶望に満たされた二人は、静かに森の中に姿を消した。後には少年
達の無残な死体だけが残った......はずだった。

ぴくりとも動かなかった安生の身体が動き出す。痙攣のような震えが激しくなると、
突如服を裂いて異様な姿に変貌する。
「へっへっへっへ......危ねえ危ねえ......」
蝙蝠のような羽を広げる。首が音を立てて正常な向きに戻ると、長く長く伸びてい
く。
「一つの村にゴッドサイダーと鉢合わせに生まれてきちまうなんてなあ......」
頭から巨大な角が生え、奇妙に捻れていく。身体が黒い剛毛に覆われていく。
「パラケルスス先生の指示で、少しずつ洗脳して、もう少しで堕とせるところだっ
たんだが......」
枝分かれした四本の腕から鋭い鍵爪が伸びる。
「へっへっへ......鬼哭一族か......珍しい奴らだぜ......地獄に引き摺り込めば手柄
になるな。早速報告するか......。」
太い尻尾が地面に触れる。安生だったものは周囲を見回すと、青沼の死体を見つけ
る。
「即死かよ......情けねえ。所詮は雑魚か。ま、何かの役に立つかもしれねえ。先生
のところに持っていってみるか。」
怪物は青沼の死体を抱えると、翼を広げ、一気に大地を蹴る。遥かな高みに上った
巨体は、手近な"地獄通り"を目指して一路飛翔していく。

仄暗い床に倒れていた流璃子は意識を取り戻した。脅威の治癒力で、既に傷は跡形
もなく、毒も中和されていた。女の姿はない。広い空間だった。正面に淡い燐光を
放つ人形の「もの」がいる。
《覚醒...?》
頭の中に直接伝わる思考。
「あなたは...?」
《我古王。堕者呼"えでぃあえる"......》
「『堕者』?あなたはデビルサイダーなの?」
《堕者手下否。堕者約我続行統治。故王也...》
「『堕者』とは、堕天使...悪魔のことですか?」
《堕者転落神下僕...》
会話の困難さに耐え、流璃子は続ける。
「やはり......。あなたは、何者なのですか?」
《我古王...》
「...教えてください。ここは、この地獄は悪魔...つまり『堕者』が支配する世界な
のではないのですか?」
《堕者支配領域称地獄。領域外称魔界》
「魔界......。では、あなたは悪魔より遥か以前からこの世界に存在するのですか。」
《...過去神捨擲多数生命...。神放我最初...》
「!...神に見捨てられて...?あなたはかつて地上に居たのですか?」
《神育命於創造地。背神意沿失敗作、投捨魔界。長時流、神反復繰失敗...》
魔界とは神の意に沿わぬ生命の屑篭。不完全なコミュニケーションから得られた情
報に戸惑う流璃子。
《...汝有神祝福。我欲知悉汝...》
燐光が揺らめき、人形が接近する。
本能的に感じられる危険に、流璃子が後ずさりする。

眞耶子は目を覚ました。立っている。だが地に足が着いていない。そして気付いた。
薄暗い空間の中、半透明な壁の中にすっぽりと閉じ込められていることに。眞耶子
の身体は、壁に塗り込まれたように、粘度の高いゼリー状の物質中にすっぽりと包
まれていた。身体がほとんど動かない。眞耶子は自分が呼吸していない事実に気付
き、狼狽するが、窒息する気配はない。緩やかな振動が身体中に伝わる。眞耶子は
驚愕の中、理解した。口腔も、肺も、胃も、腸も、耳も、鼻も、毛穴も、膣も、子
宮も、およそ外部と繋がる全ての体内にゼリー状の物質が大小の触手と化して侵入
していることを。
眞耶子の覚醒に気付いたのか、壁の振動が速くなる。そして、眞耶子は文字通り全
身をまさぐられ、あらゆる刺激を加えられる。苦痛、灼熱、極寒、そして様々な感
触。それらに対する眞耶子の反応の全てを、壁は記憶していく。
突如膣に加えられた新たな刺激に、眞耶子の身体が弓なりに仰け反る。快感。この
反応に興味を持ったのか、壁は類似の刺激を眞耶子の身体の各所に加え始める。
「かはっ......!」
声にならない声。眞耶子の口が大きく広げられる。肺に残ったわずかな空気が壁の
中に吸い込まれていく。
ゼリーの壁は、反応の強い部分に、さらに強い刺激を加えていく。眞耶子の内部か
ら熱いものが滲み出してくる。壁はそれを吸収し、分析していく。

《汝持神恵。汝力不可思議。我欲...》
「ま、待って下さいっ。もっと知りたいことが...」
《汝我生命形態隔絶。疎通伝達困難。我使用堕者付与端末。尚交流不全。我求直接
接触...》
迫ってくる燐光に壁際まで追い詰められる流璃子。羽衣が防御本能を発揮する。右
腕からするすると伸び、燐光を放つ人影のようなものに絡みつき、縛める。人影が
千切れ飛び、動きを止める。はっとして羽衣を戻し、近寄る流璃子。
「まさか......殺してしまったの?」
動きを止めるだけのつもりであったのに......。
だが先ほどの思考が再び流璃子に語りかける。
《我不滅永劫...》
「!」
燐光の人影が元の姿を取り戻している。千切れ飛んだ破片の姿はどこにも見当たら
ない。
《我調査汝形態...類似標本我手中有...》

眞耶子の全身は快感に絡め取られる。びくんっ、びくんっ。意志とは裏腹に全身が
痙攣する。身体のあちらこちらから様々な成分の液体が触手によって注入される。
その度に眞耶子の身体は官能にうち震える。
朦朧とする眞耶子の意識が、平和だった幼い時代に遡って行く。
村の長老だった優しい祖父の顔が浮かぶ。
「よいか、眞耶子。我々は里の者達と決して交わってはならぬのじゃ。」
「どうしてなの、おじいちゃま?」
「我々は呪われた一族なのじゃ。このままひっそりと世界から隠れて生きていかね
ばならぬ。我々には不思議な力があるが、それは呪われたものなのじゃ。よいか、
里の者に手出ししてはならぬ。もし出遭ったら逃げるんじゃよ......。」
眞耶子の頭を愛しげになでながら、なぜか祖父の顔はとても悲しそうだった。

眞耶子の身体が、あの時の記憶を取り戻す。激しく陵辱されながら、心ならずも歓
喜してしまったあの日の感覚。凍えた心と一緒に封印したはずのそれが、身体中か
ら溢れ出して来る。
(...そ、そんな......忘れたはず......断ち切ったはずなのにッ......!!)
全身が痙攣する。繰り返し襲いかかる快美感に、眞耶子は遂に屈する。限りない絶
頂感に意識が薄れていく。
震える壁は、眞耶子の全てを刻み込み、大きく震える。

最も忌まわしい記憶が甦る。
真冬の山中。吹きすさぶ吹雪の中、氷を割り、身を切る川の流れに白い裸身を浸す
眞耶子。
「マーヤ!やめろっ、危険だっ!」
川岸から絶叫する慎悟。
「来ないでっ!お願いだから来ないでっ!」
あれから生理がなかった。密かに恐れていた悪夢の予感が、今朝の悪阻で確信に変
わった。
(......妊娠......!!)
あの陵辱の際に、少年たちが胎内に放った夥しい精子の一つが、眞耶子の卵子を犯
し、子宮に宿ってしまったのだ。
身に宿した子供に罪は無い。それは判っていた。
「産んで、二人で育てよう。」
慎悟はそうも言ってくれた。だが、眞耶子にはその運命を受け入れることはどうし
てもできなかった。
あの日、快感に震え、今子供を育んでいる。自分の意志を裏切り続ける身体が呪わ
しかった。
(......許せない。あいつらの行為......!)
身体の感覚が失われていく。朦朧となっていく意識。だが、かろうじて立ち続ける
眞耶子。
(......許せない。あいつらの子供を宿すなんて......!)
無意識にゆっくりと身体が傾いていく。意識が消えていく。閉ざされた両目から流
れる涙。
(......許せない。罪のない子を殺す私自身が......!)
川の流れに倒れこむ眞耶子。慎悟の全速力で駆け寄っていく。

3日3晩熱にうなされ、人事不省に陥った。ようやく眞耶子が目覚めたとき、慎悟
から流産を告げられた。
覚悟の選択だった。だが、あまりにも重い十字架に、眞耶子の感情はその時、死ん
だ。
その後現れた地獄からの使者の誘いに、眞耶子はうなずいた。慎悟も行動を共にし
た。

背後に不穏な気配を感じて流璃子が振り向く。床がせり出し、半透明なブロックが
そそり立つ。その内部に眞耶子を見出した流璃子が驚愕の声を放つ。
「ま、眞耶子っ......!これは一体?」
《汝特有不可知力。然我完了標本分析。我知悉汝特徴。》
眞耶子の身体がぴくっ、ぴくっ、と痙攣している。やがてその美しい裸身の輪郭が
崩れ出すと、眞耶子の身体は壁の中に溶けるように消え去った。
「眞耶子っ...!眞耶子をどうしたのですかっ!返してくださいっ!」
《標本我一体化。永生共我。我欲汝力。共生内我...》
流璃子の周囲の床が一斉に立ち上がる。瞬間、飛び上がった流璃子だったが、天井
も同時に垂れ下がってきて、一体化したチューブ内に閉じ込められる。羽衣を飛ば
すが、壁にめり込むと外れなくなる。
みるみる押し寄せてくる壁。
「...み、弥勒冥界光っ!」
流璃子の胸の宝玉が輝き、強い光を放つ。それを受けた前面の壁は溶け崩れるが、
背後と両横の壁が流璃子に取り付く。狼狽した流璃子の注意が逸れた瞬間、前面の
壁も修復されて、流璃子を覆ってしまう。
壁の中に閉ざされた流璃子。ゼリー状の壁が、体内への侵入を開始する。おぞまし
さに流璃子の全身が震える。
唇をきゅっと噛み締める流璃子。しかし、耳や鼻から触手化した壁が侵入し、下肢
の二つの秘孔からも、触手が入り込む。自由に身体が動かせない流璃子は、その感
覚に慄然と
する。ついに、息苦しさに耐えられずに開かれた流璃子の可憐の唇からも、太い触
手が入り込んでいく。

流璃子は全身を犯されていた。肛門から入った触手と口腔から入った触手が、体内
で融合する。肺が満たされる。秘苑から入った触手は子宮から卵巣にまで侵入し、
そこを一杯に満たしてしまう。やがて毛穴や汗腺からも微細な触手が入り込んでい
く。
眞耶子に対し、あらゆる検査を行った『古王』。女の身体の構造を知悉した王の触
手が、やがて流璃子に官能を伝え始める。全てを知り尽くした王の責めに、流璃子
の身体が痙攣する。
同時に、王の思考が鮮明に流璃子の中に流れ込んでくる。
《さあ、官能の果てに我と一つになれ、流璃子。我は汝、汝は我。恐れることは何
も無い。》
(......あっ、はあっ...眞耶子は、眞耶子はどこにっ...?)
《眞耶子は悲しみに満ちていた。これよりは我と共に永遠の歓びの中を生きる。》
(......ああんっ...んあっ...あ、あなたはそうして全てを吸収してきたのっ...?)
《我は一にして全。全にして一。神はそれを気に入らなかったようだが...》
(......ふッ...あはあッ...だ、だってッ...そ、それは生命の多様性を奪うことだわッ
...)
《争いのない一つの世界。何が悪いのか。さあ、流璃子、汝も我となれ。快楽に忘
我となったとき、融合は完了する。》
(...だ、駄目ッ...わ、私にはまだすべきことがッ...あああッ...い、いやあッ...駄目
ッ...!)
全身を包む快感に目が眩む。流璃子はかつてない快感に陶然となる。
(...ああッ...ま、待ってッ...あはああッ...こ、このままじゃあッ...んんんッ...あふ
うッ...!)
《融合を開始する。流璃子、さあ、感覚を共に...》
『古王』の無数の触手が、流璃子の神経に接続されていく。流璃子の快感が奔流と
なって流れ込んでいく。

《!...こ、これは......!》
壁が、いや部屋が全体が激しく震える。
《ま、まさか、これほど凄まじい感覚とは......!》
流璃子の神経に接続し、流璃子の受ける快感を全て共有してしまった『古王』が打
ち震える。
《いかんっ...このままでは...!》
慌てて神経接続を絶とうとする。しかし間に合わなかった。
《う、うおおおおおッ......!!》
一瞬早く絶頂に達してしまった『古王』が、大量の原形質を流璃子の全身に放つ。
次の瞬間、流璃子も頂点を極める。
「あんッ...ああんッ...あああああああああッ...!!」
流璃子の全身が白熱し、まばゆい光に包まれる。その光は、やがて全てを飲み込ん
でいく。

陽炎のようにゆらめき、形の定まらない建築物。それは『古王』本体に他ならなか
った。それが内部からの光に包まれていく。『西の王』は、一瞬激しく揺らぐと、
巨大な光球の中に消滅していった。

やがて静かに消えていく光の中心部から、輝くような流璃子の肢体が現れる。
「......危なかった。もう少しで私も吸収されるところだった......」
呟いた流璃子は、眞耶子のことを思い出す。あたりを見回す。
波打ち際に倒れ伏す眞耶子。足を波が洗っている。駆け寄る流璃子。
「大丈夫?眞耶子...」
眞耶子が薄っすらと目を開き、抱き起こす流璃子の瞳を見つめる。
「わ、私は......?」
「『古王』に取り込まれていたの。でも、もう大丈夫...」
「...そ、そう...私は壁に包まれて、色々な感覚や記憶を呼び覚まされて、心も身体
も吸収されたんだわ......」
眞耶子の身体に力が戻ってくるのがはっきり感じられる。やがて眞耶子は流璃子の
助けを借りて立ち上がる。

「助けてくれたのね......あなたに襲い掛かった私を......」
「同じ鬼哭一族だし......助かったのはあなたが邪に染まっていなかったからよ...
...」
「邪に染まっていなかった...?私が...この手で自分の子を殺した、罪にまみれた私
が...。でも不思議......記憶はそのまま残っているのに......私を覆っていた悲しみも、
怒りも、憎しみも、絶望も......消えてしまったみたい。まさか......これがあなたの
力なの?」
流璃子は微笑んで首を振る。
「私にも良くわからないの......でも、ある人が言っていたわ。私には癒しの力があ
るって。そして、何か使命があるはずだって......」
「ああ......今なら私にも判る。あなたの力に触れれば、誰でも判るわ。」
眞耶子がうっとりと閉じていた目を開き、流璃子を見つめる。
「流璃子...さん。これからどうするの?」
「西に行けと言われてここまで来たの。確かに『古王』はいろいろ知っていたけど
......これからどうしたらいいか、わからないわ......」
力なくうつむく流璃子。風が長い髪を梳かしていく。

眞耶子がにっこりと微笑む。
「流璃子...姉さま......一緒に行きましょう。短い時間でしたが、私が『古王』と一
体化している間に、彼の記憶が私の中にも流れ込んできました......これからの旅に
必要な知識もあるようです。」
「本当、眞耶子?」
「はい......南に向かいましょう。そして、私同様、怒りと憎しみと悲しみ故に闇に
堕ちた鬼哭一族の民をも、どうかお救い下さい。」
「わかったわ、眞耶子。一緒に行きましょう。」

どこまでも続く白い渚を後にする二人。再び動くものの姿のなくなった沈黙の渚に
は、風と波の音だけが通り過ぎていった。

(第二話終了)

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