「ADVENT」

題名:#5 玄い山の少年

第5話「玄い山の少年」上

 フライパレスは久しぶりに華やかな賑わいをみせていた。今宵はベルゼバブの快
気祝いの宴。大広間には豪華な料理を満載したテーブルがいくつもおかれ、それら
を囲んだあまたの貴族や高級官僚、将軍達が笑いさざめいている。その奥に据えら
れた華美な意匠の玉座は、久々に主を迎えて一層絢爛な輝きを放っている。列をな
して祝意を述べる面々。満面の笑みを浮かべ、上機嫌で応対する蝿の王。そして、
ついにその二人が面前に立つ。
  「ご全快をお喜び申し上げます。ベルゼバブ様。」
  「おお、フォラスですか。よく来てくれましたね。おや...先生もご一緒ですか。」
  「お久しゅうございます、ベルゼバブ様。晴れの宴席に花を添えんがため、ささ
やかなる祝意の品を持参しましてございます...」
  深々と頭を下げる医師。片手を口元にあてて哄笑するベルゼバブ。
  「ほほほほほほっ...お気遣い痛みいりますねえ、先生。それはもしや...」
  「...左様でございます。お待ちかねの三姉妹をば...」
  「ほっほっほっ...それはそれは、何よりのプレゼントですこと。早速見せていた
だけますか?」
  フォラスとパラケルススが正面を開けると、背後に三人の女達が跪いていた。身
につけた禍々しい形の漆黒の鎧が妖しい光を放つ。その装備にベルゼバブの眉が顰
められる。
  「ツノダ・ユニット、起動...」
  パラケルススが静かに呟くや、三人の女が頭を上げ、音もなく立ち上がる。ベル
ゼバブを正面から見据える六つの瞳が黒々と輝く。
  「おお...確かにかの三姉妹...」
  見覚えのある顔を確認して、会心の笑みを浮かべるベルゼバブ。しかし、直後、
その笑みは不審に変わる。
  「これは何です......。先生、姉妹達には心が感じられませんよ。」
  「は...彼女達の精神は深く深く封じ込めております。」
  恭しく答えるパラケルスス。
  「話が違うではないかっ!元に戻せと命じたはずだっ!」
  一変する語気。怒気とともに吹き出す荒々しい瘴気。異変に気付いた周囲の客が
ざわめき出す。
  「まあまあ...お聞き下さい、ベルゼバブ様。これはフォラス殿とも相談の結果で
して...」
  「フォォラァァスウゥゥッ!!貴様がついていながら...どういうことだっ!」
  「ベ、ベルゼバブ様...」
  濃密に吹き出す瘴気が殺気に近づいたとき、三姉妹が動いた。パラケルススを護
るようにベルゼバブの前に立ちふさがる。
  「何だあっ、貴様らあっ!木偶なんぞに用はねえっ!!」
  ベルゼバブの腕が一閃する。凄まじい殺気とともに実体化した瘴気の奔流が怒濤
の如く押し寄せる。だが、瞬き一つしない三姉妹は微動だにせずに平然とそれを受
け流す。
  「なっ...なにいっ!」
  愕然とするベルゼバブ。三姉妹の闘気がみるみる膨れあがっていく。姉妹の背後
に膨れ上がっていく巨大な影。ベルゼバブの額に一筋の汗が流れる。
  「待て...ツノダ・ユニット。」
  落ち着いた声が制する。
  「お判りいただけましたか、ベルゼバブ様。この者達は生まれ変わったのです...。
私が全身全霊を傾けた最高傑作、ツノダ・ユニットとして。この力、ぜひともお役
立て下さいませ。」
  「ツ...ツノダ・ユニット...?」
  「左様。彼女達が本来有していた各種能力を飛躍的に向上させるにとどまらず、
必殺技を大幅に強化した上に恒常的かつ連続的使用をも可能とした...ハルマゲド
ンにおける最終兵器とも自負しております。」
  芝居がかった動作で両手を広げるパラケルスス。フォラスはその横で冷や汗をか
き続けている。
  「......慶祝いたしますぞ、ベルゼバブ様。陛下は最強の力を手に入れられたので
ございます。まずは、その力の片鱗なりともご覧に入れましょう。」
  パラケルススが命じる。
  「ツノダ・ユニット。紛れ込んでいるネズミを発見せよ。」
  残像を残して三姉妹が消える。一瞬後、料理が並んだ大きなテーブルの一角で、
三人が一人の男を取り囲む。その男は大皿を片手に、山盛りにした料理を平然と平
らげている。
  「...!や、奴はっ!」
  男は握ったフォークを軽く挙げて挨拶する。「いやいや、お邪魔しておりますぞ、
ベルゼバブ様。久々のご馳走、ありがたく頂戴いたしております。」
  「ごっ...剛蔵っ!貴様ぁ、そこで何をしているかあっ!」
  「はっははっ。何、こちらの状況をちょっと探ろうかと...うおっと!」
  ベルゼバブが飛ばす瘴気の刃をひらりとかわし、飛び上がった剛蔵が宙返りして
テーブルの上に着地する。皿に山盛りの料理は元のまま。さらにフォークを刺して
料理を口に運ぶ剛蔵。
  「おかしいなあ。ばれる訳はないと思ったんだなあ。」
  「う、裏切るというのか剛蔵!大恩に仇で報いるとはなんたる不忠!やはり鬼哭は
所詮薄汚い蝙蝠か!!」
  興奮したベルゼバブの罵詈雑言にも、剛蔵は表情一つ変えない。フォークを左右
に振る。
  「チッチッチッ...まあ、俺もそう思ってたんだがね...。巫女殿に言われて改めて
考え直してみりゃ...」
  微笑みを浮かべてベルゼバブを一瞥する。
  「あの事件...妙に...手回しが良かったよな...。やはりてめえが絵図面引いてやが
ったな...」
  剛蔵の表情が変わる。凄まじい憤怒。
  「てめえのせいで、一族の皆は...女房は...!!愛華の心を弄びやがって!!」
  旋風が疾走する。易々と黒いマントで弾くベルゼバブ。が、ずたずたに裂かれた
マントを見て表情を一変させる。
  「フ...フライナイツ出会えっ!!」
  ベルゼバブの命により、大広間に雪崩れ込む秘蔵の武装騎士団。招待客の怒号と
悲鳴が交錯する。
  「は、背徳者剛蔵を速やかに討ち取れいっ!」
  悲鳴にも似たベルゼバブの声を聞いて剛蔵がにやりと笑う。
  「へっ...次まで命は預けておくぜ!」
  剛蔵の周囲に竜巻が形成される。フライナイツが放つ手槍や弓は次々とはじき飛
ばされていく。天井を突き破る竜巻。空に向けて穿たれた穴から何かが飛び込み、
床に衝突するや強烈な閃光を放つ。
  「うおっ!!」
  竜巻の周囲を取り囲んだフライナイツが動揺する。そこへもう一発。目を覆う騎
士団。だがそれは、床に激突するや閃光の代わりに濃厚な黒煙を発生させ、みるみ
るうちに周囲を暗黒に変えていく。
  「ちいぃっ!小賢しいっ!」
  怒りにまかせてベルゼバブが煙幕に強酸の一撃を放つ。悲鳴が響く。竜巻が消え
去った時、残されていたのは、飛散した酸を浴びて床にのたうち回るフライナイツ
だけであった。
  「パラケルスス!女達は何をしている!」
  賓客達の眼前での自慢の騎士団の無様な体たらくに激怒するベルゼバブ。その怒
りの矛先が医師に向かう。
  「はははは...忍軍の親玉とはいえ、たった一人を討ち取ったとてツノダ・ユニッ
トの手柄にはなりますまい。外にはもう二人いたようですが...連中の巣に案内して
貰って、一網打尽にして一気に憂いの解消と参りましょう。」
  帝王の激昂を前にしながらもあくまで冷静なパラケルススが、彼を護るように佇
立していた三姉妹に命じる。
  「さあ行け、ツノダ・ユニット。奴らを気付かれないように追跡し、全て殲滅す
るのだ。」
  頷く三姉妹。背中から蝙蝠のような漆黒の翼が伸びる。軽やかに跳躍するや、天
井の穴から飛び去る姉妹達。
  「じっくりと首尾をごろうじろ...ベルゼバブ様。」
  自信たっぷりのパラケルススの含み笑いだけが残される。
 
 
  浄化され、清らかな湖と見紛うばかりに青く澄んだ沼のほとりに倒れ伏す流璃子。
近づいてくる足音に、閉じていた瞳をゆっくりと開く。美しい顔に浮かぶ微笑み。
やがて体重などないかのように軽やかに立ち上がる。沼のほとりに駆けつけた眞耶
子達は、裸体に蒼い大蛇を纏わせた流璃子を見いだす。
  「...ね、姉さま!その姿は...!」
  眞耶子が驚きの声を上げる。声の方向に顔を向ける流璃子。その顔に浮かんだ妖
しい微笑みに、一同の足が止まる。
  「うふっ......」
  「流璃子さん...そ、その蛇は一体っ」
  慌てて駆け寄ろうとする慎悟の前に腕を伸ばして哀華が押しとどめる。
  「待って慎悟...。何かおかしいわ。」
  「うふふ...どうしたのかしら?」
  流璃子の婉然たる微笑みは周囲の空気を桃色に染めかねないほどの色気を放っ
ている。
  「あなた......誰?」
  眞耶子の冷ややかな声が、響いた。
  「まあ...ふふふふ。私を忘れてしまったのかしら?眞耶子...」
  身構える眞耶子に向けられた流璃子の微笑みは妖艶さを崩さない。
  「姉さまを...姉さまを返してっ!」
  突如眞耶子の全身から放たれた雷撃が流璃子を押し包む。だが、流璃子の周囲の
見えない障壁がそれをことごとく遮る。
  「あははは...私の演技は通用しませんか。しかし...大事な流璃子の身体を傷つけ
るような振る舞いは感心しませんね。」
  明瞭に変化した流璃子の口調に、一同は一斉に身構える。
  「あなた...東の王ね?」
  長い黒髪を逆立て、全身に雷を纏った眞耶子が、怒りに震える声で指弾する。
  「確かに...そういう名前で呼ばれてもいましたね。」
  「...き、貴様!?流璃子さんに化けたつもりかっ!」
  一歩進み出た慎悟が糾問する。顔はまだ青ざめていたが、すでに足取りは確固と
している。
  流璃子の妖しい微笑みがますます大きくなる。
  「あはははは...本物と偽物の区別もつかないのですか...流璃子が可哀想です
よ。」
  眞耶子が流璃子を見つめる。交差する視線。だがそこには、かつて通い合った心
は存在しなかった。
  「...東の王......姉さまを放して!」
  「その要求は聞けませんね。いたいけな嬰児を最愛の母から引き離すなど...残酷
な行為とは思いませんか?」
  「な...何を言っているのっ!?」
  「確かに私はかつて東の王と呼ばれる存在でしたが...今となっては...ふふっ...
東の王と流璃子の間に芽生えた愛の結晶...といったところでしょうか。」
  さも楽しそうな表情で、口元に手を当ててくすくすと笑う流璃子。
  「ふっ...ふざけないでっ」
  「でたらめが過ぎますのっ」
  哀華と璃音が同時に叫ぶ。
  「どうやらあの蛇の紋様が怪しいわ。あれが巫女様の身体を操っているので
は?」
  「ああ...哀華さんの言うとおりだろう...しかし、どうやったら引き剥がせる
...?」
  「私が...私がやります!」
  眞耶子が進み出る。その右腕には雷が収斂してまつわりついていく。
  「私のせいだ...私がすぐに駆けつけていれば姉さまは...」
  うわごとのように呟きながら、流璃子に近づいていく。
  「ははははっ...。あなた方と遊んであげたいのは山々ですが...残念ながら大事な
用がありましてね。申し訳ありませんが、失礼させていただきますよ...」
  不意に流璃子の身体が宙に浮き上がる。
  「!!風舞術...?!」
  「ち、違いますの哀華さん。風の術は働いていませんのっ」
  「私はこれから『封印の山』に向かいます。追ってこられるがいいでしょう。で
きるのなら、ね...地を這う者達よ。」
  哄笑を残して流璃子の身体が高々と舞い上がると、その姿はみるみる遠ざかり、
北の空に消え去っていく。
  「『封印の山』だと...?眞耶子、一体それは?」
  うつむいた眞耶子の肩を乱暴に揺さぶって慎悟が詰問する。
  「......玄い山......姉さまの最後の訪問先......最強の王が眠る場所......私も行か
なければ......姉さまを取り戻さなければ!」
  両目から止めどもなく流れる涙を拭くこともせず、憑かれたよう叫ぶ眞耶子。走
り出そうとするその身体を哀華と璃音が必死に留める。
  「待って!...あなたの責任じゃないわ、眞耶子。忍軍最強の慎悟をあの場で失う
訳には行かなかった......お頭だってそう判断するわ。それにね......」
  眞耶子ににっこりと微笑みかける哀華。
  「巫女様は死んだ訳じゃないわ。きっとお助けできる。みんなの力で、ね?」
  両手で顔を覆いながら泣きじゃくる眞耶子がわずかにうなずく。
  「行きましょう、北の山へ。みんなとも合流しなくちゃ。」
  四人は北に向けて走り出す。
 
 
  剛蔵達は地獄帝国の外郭を突破し、なお疾走し続ける。
  「頭...追っ手の気配はありませんぜ。もう振り切ったのでは...」
  寧那の声に剛蔵がうなずく。
  「そうだな...よし、トロットに切り替えろ...」
  一行は早足に切り替え、なお常人を凌駕する高速移動を続ける。
  「巫女様達は、今頃どうしているでしょうね。」
  牙守人の問いかけに剛蔵が首をひねる。
  「まあ慎悟と哀華がついているからな......相手が何であれ、そうそう遅れは取ら
んと思うが......」
  「そうですね。しかし...先刻の女達は...」
  「ああ...とんでもないのが出てきやがった。あんなのがいるとは想定外だったな
...。穏形法は解くな...沼に向かうぞ。」
  「甘いな!」
  突如、小道の脇から影が飛び出し、三人に襲い掛かる。向かってくる影に対し無
言のまま抜き打たれる牙守人の忍刀の光芒。衝突寸前、影は宙返りで剣尖をかわす。
  「おっとお...父っつぁんかよ。危ねえなあ。」
  「おう、番虎。無事に脱出できたかい。」
  剛蔵の言葉に影-小柄な老忍が噛みつく。
  「何言ってやんでえ!一言もなくいきなりベルゼバブから離反しやがって。危な
くとっ捕まるところだったぜ。」
  「へへっ...老骨に鞭打ってひいこら逃げてきたかい。泣かせるなあ。」
  「抜かせ、寧那。引退は若い衆に花を持たせただけのことよ。俺はまだまだやれ
るぜ!」
  「ああ......話は道々聞かせる。とにかく行くぞ。」
  四つになった影が東に向かう。彼らは気付かなかった。遙か後方を確実に追跡し
てくる三つの影に。
  「なんて足の遅い連中かしら。もう飽き飽きだわ。やってもよろしくて、セイ
コ?」
  「なりません、ジュンコ。パラケルススの様の命令は絶対です...」
  「この距離も我々に気付かぬとは何と迂闊な...本当に忍なのでしょうか?」
  「ふふふ...そう責めては可哀想ですよ、ナオコ...連中が惰弱なのではなく...我々
が超越しているだけです。あらゆる面でね...」
  含み笑いが重なる。遙か高空に広がっていく三人の笑い声は、風にさらわれて忍
達に届かない。

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