「ADVENT」

題名:外伝「哀なる愛の華」

外伝「哀なる愛の華」6

  闇の女が最後に残った一軒の屋敷の前に立つ。若統領の屋敷。剛蔵と姫香のスイ
ートホーム。触手がうなりを上げて破壊を始めようとした瞬間、扉が開いて姫香が
現れる。闇の女に一瞬の動揺が走る。
  「......ヒ...ヒメカ...」
全裸のままの姫香は、淡い光をまとって佇立する。右手には、鞘から抜かれた守り
刀が握られている。
  「ヒメカ...イトシイ...ニクイ...ヒトリジメシタイモノ...アタシノジャマヲスルモ
ノ...ゴウゾウガイナケレバ...ネエサマガイナケレバ...オレハ...アタシハ...」
  相反する二つの衝動がぶつかり合い、頭を抱えて苦しむ女。
  「愛華ちゃん...可哀想に...今...助けてあげる...」
  ゆっくりと歩みを進める姫香。無防備にまっすぐ女に向かっていく。
  「クルナ...コイ...キエロ...イッショニ...グアアアアアッ」 
  触手が一斉に振り上げられると、姫香に殺到する。姫香の右手が動き、小刀が触
手に当たる。
  「!!...グオッ...ゴオオオッ...ガアッ...!」
  触手を伝って流れる電撃が、女の全身を襲う。風火水地の全てを退けてきた女の
闇の肌が、初めて大きなダメージを受ける。力なく落下する触手。姫香は再び歩き
出し、女の目の前に立つ。姫香の両眼は涙に濡れていた。
  「愛華ちゃん......」
  左手をそっと女に伸ばす姫香。胸元に黒々と輝く珠玉に触れようとする。
  「ガアアアッ!!」
  姫香の左手が珠玉に触れた瞬間、女の右腕がカウンターのように奔り、手刀が姫
香の胸に突き刺さる。
  「あ......」
  その致命的な貫手の衝撃に一瞬顔を仰け反らせた姫香だったが、そのままぐっと
珠玉を握り締める。女の左手がさらに姫香の胸に迫った瞬間、小刀を握った姫香の
右手がそれを妨げる。
  「掴むのよ、愛華!!」
  姫香から初めて呼び捨てにされた名前。反射的に女は姫香の右手から差し出され
た刀の刃を掴む。
  「グアアアアアアッ...ガアアアアアアアッ!!」
  迸る電撃が女の全身を包む。女が刀を引き剥がそうと、姫香に突き刺した右手を
抜いて、小刀を掴む。倍する電撃が女を襲う。その瞬間に、姫香は両手で珠玉を掴
むと、女の胸元から引き剥がす。
  「あなたの妄執...狂気...憎悪...屈辱...そして嫉妬...すべて...すべて私が引き受け
ます。さあ、一緒に参りましょう。......あなた......璃音......ごめんなさい......私は
......あなたたちと......ずっと......ずっと一緒に......暮らしたかった......」
  漆黒の珠玉を胸に抱き、がっくりと両膝を落とす姫香。雷撃を纏わりつかせた闇
の女も、刀を両手で握り締めたままがっくりと膝をつく。女の身体から闇が消えて
いくと、雷も消滅する。漆黒の珠玉は、姫香の胸に抱かれて、激しく明滅する。や
がて珠玉から巨漢の影が揺らめき立ち、姫香の身体を一瞬覆って抱きしめると、静
かに消滅していった。珠玉の色が、漆黒から透明に変わっていく。
 
  一ヵ月後、アイダ訪問を終えてスメラに戻った剛蔵と璃音は、破壊され尽くした
里の惨状と、腐敗した死体の山に驚愕した。愛する妻を捜し求めて、唯一原型を留
めた自分の屋敷前に来た剛蔵を出迎えたものは、互いに向かい合って跪き、謝罪し
あうかのようにがっくりと頭を垂れた愛華と姫香の姿であった。愛華の両手には守
り刀が握られ、姫香の胸には柔らかな桃色の光を放つ珠玉が抱かれていた。
  一ヶ月もの間その姿勢を続けていた二人には、衰弱の様子はみられなかったが、
一つだけ違っていたのは、愛華が深い昏睡状態であったのに対し、姫香の方は眠る
ように息絶えていたことであった。

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-陛下におかれては、私兵集団の一つとして鬼哭一族を迎え入れる所存のようだ。
私にその司令を仰せ付けられた。危険な面もあるが、その反面、きゃつらが幕下に
いれば、確かにあまたの政敵達を出し抜くことができよう。今日の情事後の話題は
それ一色だった。あの黒い館を訪れたのは何度目だろうか。ゾヅーカという執事と
もすっかり顔見知りになってしまった。だが、鬼哭一族はこの屋敷に決して近づけ
るなとの厳命は、一体なぜなのだろう......-
(魔将軍フォラス著「備忘録」より抜粋)

-麗しのリリス皇后陛下
  以下の機密文書を公文書廃棄所より入手しました。断片ではありますが、お役に
立てば幸いであります。
「(判読不能)陛下宛 
  まずは再調整結果報告であります。対象に関し、全ての記憶を消去し、模造記憶
を付与しました。この結果、戦闘力は大幅ダウンしました。知能、性向などはほぼ
保持しており、儀礼、忠誠心などは新たに追加して若干強化しております。これを
もって、対象は執事としての職務に十分耐えるものと判断いたいします。「ゾヅー
カ」の名、まことに結構に存じます。
  「封印球」については、スメラ壊滅後、その消息が不明となりましたこと、誠に
遺憾であります。引き続き可能な限り追跡調査いたします。
  ご依頼のデビル・ドラッグについてですが、人格を破壊してしまう副作用の抑制
にはなお成功しておりません。いましばらくお時間をいただきたくお願いいたしま
す。成功の暁には、ぜひ陛下の御名をつけさせていただきたいと考えております。
  なお、かねて援助をお願いしておりましたホムンクルス計画ですが、実用の目処
が立ってまいりました。ぜひともの支援を重ねて懇願いたします。
  親愛と忠誠を込めて(判読不能)」-
(アスタロト大公爵所有「リリス皇后下賜機密文書綴」より抜粋)

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霧氷の章(哀華二十六歳)

 ......私は時折思い悩むことがある。どうして私は生き続けているのだろうかと。
答えは明解なのに、その問いは常に私に付きまとう。きっと問いかけているのは、
私の良心そのものなのだろう。
  昏睡から醒めた時、既に姉さまは埋葬されていた。他に生存者はなかった。聞く
までもない。あの殺戮が続けられた間中、私の意識は明瞭だったのだから。私はあ
の人に、私の知る全ての出来事を告白した。そして頼んだ。汰狼の妄執に囚われて
いたとはいえ、私の中にもそれを拒絶できないだけの理由があったのだ。私は殺戮
の共犯者だ。あなたに裁いて欲しい。あなたの手で殺して欲しいと。あの人は最後
まで私の話を目を閉じて聞いていた。そして長い沈黙の後、こう言った。どうして
こうなっちまったのか、詳しいことは判らないが、姫香は愛華が生き続けることを
願ったんだ。姫香の気持ちを無駄にすることはできないと。そしてこうも言った。
可哀想に璃音は母親を亡くしちまった。まだ六歳だっていうのに。愛華が助けてや
っちゃあくれないか。

......そうして私は生きる理由ができた。私の残りの人生は、全て璃音とあの人に捧
げる。いつも二人の側にいて、二人に尽くし、二人の盾になる。私は名前を変えた。
愛など、今の私には重すぎる。哀しみこそ、今の私にもっともふさわしい友。姉さ
まの形見となった守り刀。璃音に渡そうとしたら、あの人はこう言った。それは愛
華が持っていてくれ。それで璃音を守ってやってくれ。だから、私は璃音が成人す
る日を待っている。璃音が十八歳になる日、私は璃音に姉さまの守り刀を返すつも
りだ。そしてその場で言おう。あなたの母を殺したのは私だと。操られていたから
ではない。あの時、私には確実に殺意があったのだ。

......姉さまへの嫉妬。汰狼の妄念と融合した時に、私の心の奥底から噴き出した黒
い感情。それはあの夏の日、私があの人を愛していることをはっきりと思い知った
時から存在していた。いや違う。本当は、もっともっとずっと以前から私の心の闇
の中でひっそりと生まれ育っていたのだ。姉さまの美貌、才知、人柄、気品......そ
ういったものに触れるたびに、ゆっくりと、少しずつ。だが、それが殺意にまで高
まってしまったのは、やはりあの人の存在のせいだろう。あの人のことを考えると
胸が熱くなった。あの人が姉さまと楽しげしていると、胸が苦しくなった。あの人
が姉さまと睦み合っている、そう思う夜は胸が痛くなった。あの人と一緒になりた
い、あの人を奪いたい......姉の夫に横恋慕するとは、なんと罪深い妹であろうか。
姉さまは、幼い頃から変わらずに私を慈しんでくれていたというのに。そんな不出
来な人でなしの妹故に、天罰が下されたのだろうか。ああ、ですが神よ、罰である
ならばどうして私にだけ与えて下さらなかったのですか。私が汰狼に穢されて、刺
し違えて共に死ねば良かったのです。

......璃音には、私を憎んで欲しい。そして殺して欲しい。私はその時、璃音に憎ま
れるために思い切り悪態をつくつもり。あの人は私のものよ。あんたの母親を殺し
たのは、あの人を奪うためよ。あんな女大嫌いだった。あんたも嫌で仕方がないの。
もう我慢できないわ。私はあの人と二人だけで生きていくの。さあ、とっとと殺し
てあげるから来なさい。璃音が心底私を憎んでくれれば、私を殺して清々してくれ
れば、少しは私の贖罪になるだろうか。それに、あの人と二人で暮らしたいという
のは、あながち嘘ではないのだ。こんなことになってさえ、私は今でもあの人を欲
しいと思ってしまうのだ。救われない魂に、安らぎはない......

......あの人は姉さまが抱いていた珠玉を私に渡した。姫香の形見だと。汰狼が私に
投げつけたとき、それは確かに漆黒の珠玉だった。今、それは薄い桃色に優しく輝
いている。まるで姉さまの心そのもののように。危険な気配はないから身につけて
みたらどうだとあの人は言う。でも、私にはできない。私は恐ろしい。死ぬことな
ど全く怖くない私が、あの珠玉だけは恐ろしい。漆黒の珠玉が汰狼の妄執に染まっ
ていたように、きっと今の珠玉は死ぬ寸前の姉さまの気持ちに染まっているのだ。
あれを身につけたとき、どのような感情が流れ込んでくるのか、それを知るのが怖
くて仕方がない。私への失望、怒り、理不尽な死への抗議......聖女のようだった、
私にとっては聖女そのものだった姉さまのそうした負の感情に触れてしまうのが
怖い。もし一切負の感情がないとしても......あまりにも清らかな姉と、あまりにも
穢れた妹......懸絶する姉妹の差を改めて思い知らされるのが怖い。

......もう一つ私に怖いものがある。あの人の気持ち。あの人は私をどう思っている
のだろう。ただの妻の妹、娘の叔母だろうか。それとも、あの人にも私に少しは興
味や欲望があるのだろうか。知りたい。だけど怖い。どのみち、私はあの人と幸せ
になることなど許されない身なのだ。仮にあの人から愛を打ち明けられたとしても
......ああ、そんな空想をかつてどれほどまでに夢見ていたことか......もはや私がそ
れを受け入れることはできない。姉さまが見ている。私の心の中の姉さま......それ
は私の良心そのもの......に見つめらているから。私にはもう幸せなどない。幸せに
なってはいけない。忍の仲間達は、私がとっくにあの人の情婦になっていると思っ
ていることだろう。どう思われても構わないけど、あの日以来、私はあの人と指一
本触れ合っていない。私の中の姉さまがそれを許さない。あの人はそんな私をどう
思っているのだろう。お高くとまった女だと、嫌っているだろうか。それとも無関
心なのだろうか。知りたい。でも知りたくない。もしあの人の気持ちをはっきりと
知ってしまったら、私はもう正気ではいられない気がする。

......あの夏の日。あの人が汰狼を殺していれば、こんなことにはならなかっただろ
う。或いはあの嵐の日、あの人が出発を延ばしていたなら、未然に防げていたかも
知れない。そもそもあの儀式の日にあの人が出場しなかったなら......あの人がスメ
ラの里に来なかったなら......。いいえ、繰り言はよそう。未来を、運命を正確に察
知できるものなどいやしない。人は、その時その時に最善と思われる手段を尽くす
しかないのだ。どうしてあの人を責められようか。全ての罪は、私の心の中にこそ
あったものを。私があの人を愛さなければよかったのだ......そう責められたなら、
私に一体どのような釈明ができるだろうか。

......私たちに新たな指令が下った。流璃子を追跡し、捕縛すること。宗家嫡流の娘
らしい。そういえば私と姉さまの母も宗家からスメラの里に嫁いできたのだという。
私を産んですぐ亡くなったので、全然覚えていないけど、写真を見る限り美しい人
だった。そうか、私も璃音も宗家の血筋を引いているということになるのね。鬼哭
一族内で争うなんて気が進まない。けど、あの人の命令ならば、何事でも全力を尽
くして実行しよう。あの人が殺せと言うなら殺し、死ねと言うなら死のう。私の生
きる証は、すべてあの人にあるのだから......。

(了)

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